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  社長の想い

鳥のように空を飛びたい

空とぶじゅうたんからはじまった空への憧れ


代表取締役 柳沢 源内

子供の頃に『空とぶじゅうたん』の話を読んでもらって以来、「空を飛びたい」という思いがありました。 その後、大戦の最中に迎えた少年期は、身近に飛行機乗りが何人かいて、かなり感化されておりました。『きけわだつみのこえ』に出てくる上原良司は、叔父にあたり、その姿は小学生の私には眩しい限りで、実にカッコイイ存在でした。 何よりも、松本は民間航空機のメッカで、河川敷で飯沼飛行士の先生のような人が飛んでいたんです。それに松本市内から現在の松本空港のある神林あたりまでは、戦争中に三菱をはじめ飛行機メーカーが疎開企業として全国から集まっていました。だからいまだにポンコツのプロペラがそこらへんに落ちていたりします。そんな影響もあり、私は小さい頃から飛行機乗りが憧れで、飛行機は身近な存在、小さな頃から「自由に空を飛びたい」と強く思っておりました。

エンジンへの夢と創造


学生時代の写真

空に魅せられていた私は、エンジンの開発を勉強したいと志し、迷うことなく早稲田大学理工学部機械工学科に進みました。空への強い思いがあったので、飛行機のエンジンをつくる会社でアルバイトをしたこともあります。アメリカの基地から借りてきたエンジンを分解して、それをモデルにT-3というエンジンの羽の計算をしていました。というのも朝鮮戦争の影響でアメリカの飛行機を修理する工場が必要になったために、昭和28年頃には、日本も飛行機をつくることを許されていたんです。三菱、川崎、富士重工、石川島などのタービン屋たちがみんな動員されてエンジン開発をしていましたが、私もその中の一人だったのです。 その後、東京大学内燃機関実験室に在籍しながら、アルバイトで自動車会社にも出入りし、車のエンジンも勉強していました。その頃、モノづくり的にはアメリカ系がどんどん堕落していき、ドイツ系が良くなっていくのが見えたんです。就職を考える頃になると、BMWの完全コピーをつくろうという会社へ入社し、技術者の道へ本格的に足を踏み入れました。

ヘリコプターの開発の技術の原点を叩き込まれた修業時代


その頃にスケッチして作ったオートバイ

この会社はもとは靴下を編む紡績機械を作っていた会社。戦争中、軍用機や戦車のエンジンを設計したなどという強者エンジニアや、製造の現場のたたきあげの職工さんたちから「大学出てもこんなこともできないのかね?」などと笑われたり怒られたりしながら、旋盤から工作機械の扱いまでを徹底して叩き込まれました。そしてこの技術がGEN H-4の開発の力になったと思います。ハイテクとローテクという言葉がありますが、私はローテクを極めた技術者こそがハイテク屋だと理解しています。一見飛行機やヘリコプターは最新技術のハイテク屋でつくられているように思われがちですが、実はローテクのかたまりなんです。完成された技術、鍛えに鍛えられた技術でかためないと危なくてしかたないんです。

一人乗りヘリコプターの開発


レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチ

一人乗りヘリコプターは私のライフワークです。開発の過程では、学者や研究者の八割が「こんなの、飛ぶはずがない」という意見でした。実際に飛ぶようになるまでには13年かかりました。失敗を重ね、随分と苦労しましたが、アメリカで先行販売し、おかげさまで日本でも売れるようになりました。実はこのタイプのヘリのコンセプトは昔からあったんです。私がやるまで日の目を見なかっただけなんです。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチは、既にこのようなヘリコプターを考えていました。もっとさかのぼれば、中国やギリシャでも考えられていたんです。技術者の先人が「未来は自分の先にあるのではなく、自分の後ろにあるんだ」と語っていますが、同じことをやろうとした人は、いっぱいいるんです。ですから、「俺が発明した」なんて言えるひとは世の中にはそうはいなんですよ。

技術の組み合わせと改良の妙で実現させた夢


社長の構想のスケッチ


いままでお客さんから「何とかならないか」という相談を受けて、世の中にないものをつくってきましたが、自分で発明したものはないんです。先にものべたように、技術者というのは既にある確実な技術を組み合わせたり、改良したりしているだけ…でもその先に新たなものづくりの原点があるんです。技術が生まれた背景を知り、何故うまくいかなかったのか失敗例からも学んでいく、このような技術の伝承が「ものづくり」の創造につながると思います。 今は理論さえ間違っていなければ、かなりのことができる時代で、「ものづくり」をするためには恵まれた環境です。だから、私に言わせれば「できません」というのはゼイタクかズクなしですよ。私は動くものなら何でも作る自信があります。 やりたいと思ったことはやれるし、思ったらできる。夢は実現させるためにあるんだ。こういう私の信念がGEN H-4の開発につながり、その考えが会社事体にも浸透しています。

ドラえもんのタケコプターのような存在がこれからの目標

スクーターを運転するような簡単な操作で自由に空をとぶことができるGEN H-4ですが、実際には様々な法規制があり、活躍のシーンが限られているのが現状です。規制緩和を目指すとともに愛好家を増やし、災害現場での活用など、活躍の場を広げ、みなさんにとってドラえもんのタケコプターのような存在になってくれることが目標ですね。

ズク…長野県の方言の一つ。根性、面倒くさがらずにやる気、根気、気力、気合、などに似た言葉。

 
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